ピーッ!
「今夜も戦いの火ぶたは切って落とされた──。」
夕飯の食器を手際よく食洗器へ入れ、スタートボタンを押すと、彩の脳内にはいつも、そんなナレーションが流れる。
よし、と気合いを入れて歯ブラシを手に取り、リビングで何も知らずに恐竜のフィギュアで遊んでいる悠真に目をやる。夫の翔太も彩の闘志を感じ取ったのか、スマホを置き臨戦態勢に入った。
歯磨きが大キライな悠真。保育園の歯科検診の結果もB判定だった。歯ブラシの毛先が歯茎に当たる感覚が気に入らないらしい。 どうすれば磨かせてくれるだろう、と夫婦でこれまでも試行錯誤を重ねてきた。
今夜はスマホの力を借り、『恐竜動画で注意を逸らそう作戦』を決行する。
「悠真、恐竜の動画見る?」「みるー!」
スマホから目を逸らすことなく口を開ける悠真。
「今日はいけるかも……」その淡い期待はすぐに打ち砕かれた。
歯ブラシを奥歯に当てた途端、「やだっ!」と大きな声を上げ、悠真はそのちいさな手で彩の手を振り払った。
夫婦でいくらなだめても、こうなってはもう大人しくは磨かせてくれない…
痛みへの挑戦
仕事を終えた翔太から、「こんなのあったよ!!」とめずらしく興奮気味のメッセージが届いた。彩は貼られていたリンクをタップしてみた。
表示されたのは「はみがきのおけいこ」という商品の販売ページ。アプリと連動したIoT歯ブラシらしい。歯ブラシまでIoTの時代か…と未来を感じつつ、そこに書かれていた「子どもが進んで歯みがきをつづけたくなる!」という文言や継続のメカニズムの図解を読み込むうちに良さそうだと直感。迷わず購入ボタンを押した。
「ママ、はやくペスくんとあそぼ!」
「はみがきのおけいこ」がやってきて以来、パジャマに着替えたら歯磨きをするのが悠真の日課になった。今では彩が洗い物をしていると急かされるほどだ。ペスくんが目に見えてキレイになっていくこと。キレイに歯を磨けるとペスくんと遊べることが特にお気に入りらしい。
嬉々として歯を磨く悠真の姿をみるたび、翔太とは「ポチって正解だったね」と話している。歯磨きが親子の戦いではなく、コミュニケーションになったのは、本当にペスくんのおかげだ。夕食後のリビングと彩と翔太の心に平穏が訪れた。